2014年10月08日

どうなっているの〒

10日前、友人を誘って試合に出ようと電話した分のダメとの答えが来たので、すぐにシングル用の申請申込書を月曜日の10時迄に近所のポストに投函した。


同じ南区内なので届いているものと思っていたが、金曜日に主催者側から電話あり、申込書が本日届きましたので締切日が過ぎているから受付できませんとあった。


月曜に送ったものが金曜に届くとは、どういう事なのであろうと郵便局に電話した。調べてお電話しますとの事、あくる日、うやむやの電話があり、問いただすと局には留まっていないけど遅配したとの事、なら何処へ行っていたのよ?


車なら20分程度の距離内ですよ、


これで、試合にも出れなくなってしましました。


Photo_2


最初は保証しますと云ってたから、どう保証してくれるのかと云ったら、また、うやむや、こちらの質問に都合が悪ければ返答無し!あきれる!これが郵政の顧客に対する返答マニュアルなのか?、


10日後、ネットでPLフィルターを購入した、2日に業者からメール便 [E:mail] で発送済みのメールが来た、でも待てど暮らせど届かない、以前はお釜や本等を買ったけど、東京からあくる日に届きあまりの速さにびっくりした事がある、宅配便だけど、


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以前の事で文句を言ったから、嫌がらせにあったのかと思い、6日の月曜日のAMに郵便局へ電話した。すると、今日の配達になっているから今日の2時から4時までに届けますとの事、


午後は外出しない様に待っていても届かない、5時過ぎて主人が帰宅し、郵便物の中のモノを持ち帰ったがチラシ以外郵便物は無し、6時過ぎたのでいくらなんでもと思い再度電話、今度は3か所にたらい回しにされ、挙句のあてに5時過ぎに届けたとの事、5時には来てないわよ、まったく、


Photo_5


あきれ果てた郵便配達の行い、「まったく、どうなっているの〒」と云いたい!![E:annoy]



自分で電話するから管轄の配達人の電話番号教えて下さいと言っても、教えない、


なら、再配達の時名前や電話が記載されているから、個人情報と違うと言っても教えない、一体、郵政事業はどうなっているのかしらね、


こんな(大濠公園より広い、福岡市一大きなため池や田んぼがある)ど田舎で、5時までに配達仕事が終えない程、まるで山のように沢山のゆうメールがあるが如くにおっしゃる。


一日一度しか配達しない様な地区の処なので、日々不便を我々は我慢しているのに、真面に仕事しなさいよ、[E:annoy]最近の若い配達人に文句言ったらパワハラになって辞めるから言えないのかしら、


あきれ果てて、こんな調子ではこれから写真等の応募申請送付出来なくなるわ、


この田舎で銀行が無いから、度々私も郵便局へ行くけど、最近は機械があるので、機械には行列してて、局の受付係りは遊んでいるのをよく見かけますよ、[E:eye]


この度の事で、郵便物は一旦博多の集積場へ行き、それから各局に配達するから近くてもなんの意味も無いのだと云う事が分りました。


不合理な事をするのね、同じ局内なら、さっさと届ければ無駄な手間暇が省けるでしょうに、もっと合理的に処理して欲しいね、まったく!!Photo


2度と使いたくなくても、我々の方は運送手段選べないサイトもあるしね、

posted by ゆう子ちゃん at 12:45| 福岡 ☀| Comment(0) | ゆう子のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

墓参り

9月27日、高校の同窓会の時、着いてすぐ午前中に比治山に登り、母の墓参りしました。


私の実家の墓は広島の真ん中の比治山の墓園にあります。


しかも3か所に別れて別々の場所に、母が生存の時何故、こんなに3か所に別れているのかと聞いた事がありますが、一か所は養子元なので分からぬ事ないのですが、


元々のご先祖のお墓の場と、あとは祖父(房乃助)が、戦前広島にあった陸軍広島連隊にお米を納入する米穀商で裕福だった人なので、自分の入るお墓を生前(昭和14年)に作り、先祖地は狭いので別場所に置いたみたいで、3か所になっています。


最後の墓には曽祖父母や祖父母、両親と3代が今納棺されてます。


我が家は元々浅野藩の芸州藩士だったので、お墓石の天辺が尖っています。もちろん比治山神社神道の氏子だったので、法要等は比治山神社で神主の元で、おこなっています、


以前は親の神官でしたが、今は頼りなさそうな背の低い息子さんの代になっています。


神官なのだから、祝詞(ノリト)をあげるときはもっとロウロウとしていればいいものをと感じています。


主人の方のお寺(浄土真宗)の坊さんは、若いのにロウロウと、お能の声の如く良い声でお経を上げられます。なんか有難味が感じられます、拝み方次第なのね、


 ①ご先祖12代までの墓(初代は寛文6年、徳川家綱の時代、西暦1666年で八百屋お七の時代)です。


Haka11



Haka12


②養子元家(何代か前、中川家から宮川家に養子にいく、この中川家が明治時代に子が無くて絶えたので、宮川家が墓を建てて祭ってあげています。)


Haka2


Haka3 誰がしたのか、大きな大木があったが伐採されていた。


この中川家は浅野藩の家臣で、取り寄せた芸藩輯要記録に記載が有ります、


この人物は武人ではなく、式部公子附とあるから藩の催し事を仕切る係りの様です。


浅野藩は、元々関ヶ原の合戦後、紀州から芸州(福島正則の領地)に藩替えになった藩なので、家臣は [旧]紀州からの同伴した藩士、 [芸]芸州藩福島正則残党藩士、 [三]分家三次藩出身、と3つに分かれていました。


Photo ③我が曽祖父母、祖父母、父母、等3代が納棺で2m以上もある大きな墓、


昭和20年8月6日に祖母センが原爆死とあります、遺骨が見つからず、着ていた着物の袖が入れてあります、祖父は原爆症で髪が全て抜け落ちたそうで、その後死んでます。私も祖父母は写真でしか知りません、姉は当時7歳なので知っていますが、


Haka_3


Haka3_3 紋章は


Haka4建立は


Haka1祖父房乃助は、比治山神社の石の鳥居(この写真に見れる)を寄贈しています。


S


 

posted by ゆう子ちゃん at 01:34| 福岡 ☀| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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